美ら海ネクサス 第2話
<前回までの美ら海ネクサス>

東京の広告代理店を離れ、沖縄・美海市へやってきた知念結維(ちねんゆい)。
若き市長・与那覇早紀(よなはさき)に招かれ、「未来ビジョン推進室」の特命担当ディレクターとして、新たな一歩を踏み出した。
着任初日の帰りに立ち寄った、シティプロモーション動画の撮影以来となるカフェバー「セレンディピティ」。
そこで結維はマスターや、今の住まいが生まれるきっかけとなった二拠点居住モデル事業の仕掛け人・榊原と出会う。
しばらくして、結維のスマートフォンに一件の予定通知が届く。
翌朝の市内視察――その備考欄には、「防災服着用」の文字が記されていた。
<第2話> 「美海市の可能性」
カーテンの隙間から差し込む光に、結維はハッとして目を覚ました。
「まずい、寝坊した?」
慌てて枕元のスマートフォンに手を伸ばした。
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だが、画面に表示された時刻は、アラームを設定した時間よりまだ20分ほど早かった。
スマートフォンに起こされず、自然に目が覚めたのは久しぶりだ。
大きく背伸びをしながらリビングに向かい、冷蔵庫からポークたまごおにぎりとさんぴん茶を取り出した。
いつもの朝の癖で動画アプリを開きかけて、結維は指を止めた。
代わりに通勤中によく聴いていたプレイリストを再生した。
アコースティックギターの柔らかな音色が部屋に流れ始める。
ポークたまごおにぎりを口に運びながら、榊原が手がけたというアーティスト寄りの室内を見回した。
スマートフォンからグループウェアを立ち上げて、今日の予定を確認した。
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市役所までは、少し早めに歩いて20分ほどだろうか。
2日目の朝は、昨日気づかなかった遠くの風景までが見えてくる。
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市役所に着くと、上原が待っていた。
「おはようございます。市長から、今日は市内を見に行くと言われています。あちらに更衣室がありますので、この防災服に着替えてください。防災靴もあります。」
「あの。昨日の夜、グループウェアの通知にもありましたけど、防災服って、そういう使い方もあるんですか?」
「ええ。今日は、舗装してない道も歩くことになると思います。土木系の職員には専用の作業服があるんですが、事務系の職員は、防災服を使うことが多いんです。私も今から着替えます。」
「なるほど。」
着替えが終わると、公用車の駐車場へ向かった。
ちょうど、防災服に身を包んだ市長が、スーツ姿の秘書課長と一緒に階段を下りてきた。
「あら、結維さん、似合ってるじゃない。」
「おはようございます。慣れなくて、なんだかコスプレみたいな感じです。」
「そう?私はスーツより、こっちの方が好きだけど。」
市長はそう言って笑った。
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市長用の公用車とは別に、大型の白い四輪駆動車が停められていた。
側面には「美海市」と大きく書かれ、フロントガラスには「防災広報車1」の表示がある。
秘書課長が後部座席のドアを開き、市長を先に促した。
結維も後部座席に乗り込む。
「今日は、このまちの可能性をじっくり見極めてもらうわね。」
市長の声は、どこか弾んでいた。
エンジンの低い響きとともに、防災広報車1はゆっくりと走り出した。
市役所を出ると、車は海沿いの道路を北へ向かった。
左手には青い海が広がり、右手には古い商店や住宅が続いている。
やがて車は速度を落とし、美崎中央商店街の通りへ入った。
商店街の入口には、「美崎中央商店街」と書かれた大きなアーチが立っている。
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まだ朝早いため人影はまばらだったが、スマートフォンで写真を撮る外国人観光客らしい姿もちらほら見える。
「ここは、美崎中央商店街です。」
助手席の上原が振り返って説明した。
「結維さん、どう見える?」
市長が窓の外を見ながら尋ねた。
「朝なのに人が結構いますね。もう開いているお店もあるんですね。」
「ここはね、商店街の皆さんが運営のやり方を少し変えたの。市はその後押しをしていて。」
「運営、ですか?」
「いわゆる商店街マネジメントですね。市の支援事業です。」
上原が補足した。
「そう。プロのマネージャーを雇ってね。店主さんには、お店づくりや接客に専念してもらって、イベントの企画や情報発信、空き店舗への出店相談なんかはマネージャーが担当するの。」
「商店会に加盟しているすべてのお店で、売上や客層を見える化できるシステムを活用しています。キャッシュレス決済などのデータとも連携できるので、国のポイント還元事業やプレミアム商品券にも、スムーズに対応できます。」
「へえ、すごいですね。」
「最初のうちは参加するお店も限られていたんですが、コロナ禍や国の景気対策への対応をきっかけに、一気に増えていきました。」
上原が続けた。
「ところどころの電柱にカメラがあるのが見えますか。」
結維は窓の外へ目を向けた。
細い電柱の上の方に、小さな白いカメラが取り付けられている。
「防犯カメラですか。」
「ええ。でも、防犯だけじゃありません。AIが映像を匿名で集計して、人の流れや時間帯ごとの傾向を分析するんです。」
「人流を見てみたら、朝早く観光客が通っていることが分かったの。それで、『朝開けてみようか』というお店が少しずつ増えていったのよ。」
「それでこの景色なんですね。」
結維は商店街をもう一度見渡した。
「商店街って、まだまだ面白くなると思うの。」
市長はそう言って微笑んだ。
「次は車を降りて、ゆっくり歩きましょう。」
車は商店街を抜け、海から少しずつ離れていった。
道路の両側には畑や住宅が増え、遠くに小高い丘が広がる。
緩やかな坂道を上る途中、小学校の正門前で車が止まった。
石造りの門柱には、「美海市立美崎小学校」の銘板が掲げられている。
上原は車を降りてインターホンを押した。
しばらくして電子音が鳴り、門のロックが解除される。
鉄の格子戸が開き、防災広報車1はゆっくりと校内へ入った。
正門脇の駐車スペースには、一台の白いワゴンタイプの公用車が停まっている。
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「お待ちしていました。」
職員が市長に一礼した。
「新垣さん、忙しいところ急に悪いわね。」
「いえ、市長に見ていただくいい機会ですので。」
「こちらは、昨日から美海に来てもらった知念結維さん。」
「教育委員会教育総務課施設係長の新垣です。よろしくお願いします。」
「総務部の知念です。よろしくお願いします。」
「では、こちらへどうぞ。」
新垣を先頭に、昇降口の下駄箱が並ぶ通路を抜けると、校庭へ出た。
校庭では、体育の授業中なのだろう。子どもたちの元気な声が春空に響き、グラウンドいっぱいに駆け回っている。
「では、まず体育館をご案内します。念のため、これをお願いします。」
そう言って、新垣は白いヘルメットを一人ひとりに手渡した。
体育館の入口には「使用禁止」の張り紙が貼られていた。
鍵を開け、扉をガラガラと横へ引く。
館内は薄暗く、開いた扉から差し込む光が床を細長く照らしていた。
広い空間は静まり返り、人の気配はまったくない。
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体育館の中央まで進むと、新垣が口を開いた。
「この体育館は本校舎の翌年に建てられたもので、築48年になります。昨年の台風で屋根の一部を損傷しまして、応急処置は行いましたが、老朽化も重なり、卒業式を終えた頃から雨漏りが目立つようになりました。」
「雨漏りですか。」
床のあちこちに置かれたバケツとブルーシートに目を向けながら、結維が心配そうに尋ねた。
「はい。建物は旧耐震基準の時代に建設されたものですが、耐震補強工事は完了しています。ただ、安全を最優先に考え、新学期から体育館の使用を見合わせることにしています。」
「体育の授業や学校行事は、どうするんですか。」
「早速、来週に入学式がありますので、会場は近くの市民文化会館へ変更することにしています。本格的な工事は夏休みに入ってからですので、それまでは代替施設を利用しながら対応していくことになります。」
市長が天井を見上げながら言った。
「昨年の台風では避難所として使ったんだけど、この体育館には空調がないの。暑さで体調を崩す方もいて、避難生活としては厳しい環境だったわ。」
「はい。さらに夜は落雷で停電まで重なって、復旧しても照明は水銀灯でしたので、すぐには明るくならなかったんです。避難所の運営は本当に厳しい状況でした。」
と新垣が付け加えた。
「それは大変でしたね。学校の体育館は、教育施設であると同時に、地域の避難所でもあるんですね。その両方の役割を考えないといけないのか……。」
「そう。そして、それを別々の役割として考えないことが大事なの。」
市長が続けて言った。
「普段から誰もが気軽に足を運んで利用できる場所なら、災害のときも自然に地域を支える拠点になる。今回の雨漏りの修繕だけにせず、これをきっかけに変えていきたいの。」
結維はもう一度、広い体育館を見渡した。
体育館を出て、校舎に沿って歩いていく。
校舎の奥にある平屋建ての建物の前で、新垣が立ち止まった。
「こちらが給食調理室です。ちょうど今、給食の準備中です。」
湯気で曇ったガラス窓越しに、中の様子が見える。
大きな回転釜の前では、白衣姿の調理員たちが手際よく作業を進めている。
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「調理中ですので、今日はここからご覧ください。」
「給食を作っているところを見るのは久しぶりです。活気がありますね。」
「はい。活気があるのは確かにそうなんですが……。」
新垣はガラス越しに壁を指さした。
「壁の温度計が見えますか。換気を最大に回しているんですが、空調がなくて、熱気がこもってしまうんです。教室は全校で空調整備が完了していますが、それ以外はまだ途中です。美崎小は、旧海良村の小学校を統合する計画が進んでいまして。学校再編が進むと、さらに提供する食数が増える見込みで、施設も含めて見直していく必要があるんです。」
上原が続けた。
「ですので、施設だけでなく、学校全体を見据えた検討が必要になってきます。」
「そう。最近は、共働き世帯も増えて、夏休み期間中の給食や、朝や放課後の居場所づくりなど、学校に期待される役割は少しずつ広がってきているの。」
市長は調理室を見つめながら続けた。
「それにね、去年、体育館を避難所にしたとき、食事を外部から届けてもらったの。そのとき、調理室が使えればいいなと思ってね。」
「学校って、まだまだ可能性を秘めている感じがしますね。」
「そう思ってもらえて良かったわ。」
「新垣さん、今日はありがとう。今後の具体的なことは、上原さんだけじゃなくて知念さんも加わるので、よろしくお願いしますね。」
結維は一歩前へ出て、改めて頭を下げた。
正門手前の公用車に乗り込もうとすると、一台のシルバーのライトバンが正門から入ってきた。
駐車スペースに慣れた様子で車を入れると、中から一人の男性が降りてきた。額の汗を拭いながら、市長のもとへ足早に近づく。
「与那覇市長、すみません。校長会に行っておりまして、ようやく戻ってまいりました。」
「校長先生。お気になさらず。新垣さんにしっかり見せてもらいましたから。」
「それは安心しました。来週はいよいよ入学式です。今年は市民文化会館での開催になりますが、子どもたちをしっかり迎えられるよう準備を進めています。当日はよろしくお願いいたします。」
「ええ。子どもたちにとって心に残る一日になるように、みんなで温かく迎えましょう。」
校長と新垣に見送られ、防災広報車1は学校を後にした。
道路の両側に並んでいた住宅は次第に少なくなり、サトウキビ畑が広がっていく。ときおり牛舎と思われる建物が現れ、車が緩やかな坂を上るたび、木々の向こうに青い海が見え隠れした。
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「ここから旧海良村の区域に入ります。」
かつての市村境を示す古い道標が立っているところで、助手席の上原が振り返って言った。
「さっきまでとは、ずいぶん雰囲気が違いますね。」
結維は窓の外へ目を向けた。
「合併前は、農業を中心とした地域でした。大規模な開発も少なかったので、今でもまとまった土地が残っているんです。」
車はさらに坂道を上り、やがて木々に囲まれた細い道へ入った。
「もうすぐ到着します。」
上原が前方を指さす。
木立の向こうに、色あせた石造りの門柱が見えてきた。かつての施設名が掲げられていた跡だけが残り、錆びたゲートが入口を閉ざしている。
車はゲートの手前で止まった。
上原は助手席から降りると、ポケットから鍵を取り出し、南京錠を外した。重いゲートを押し開けた。
秘書課長が車を敷地内へ進める。
上原はゲートを閉めると、再び助手席へ乗り込んだ。
車は木立の間を縫うように延びる舗装路を進んでいく。
「ここ、市の土地なんですか。」
結維が尋ねた。
「いいえ。以前はゴルフ場でした。現在は投資ファンドが所有しています。」
「そうなんですね。」
「ええ。この土地の活用に向けて市と協定を結んでいて、立ち入りには、その都度許可をいただいています。」
道路の両側には、起伏のある芝地の名残が続いていたが、今は背の高い草に覆われ、ところどころ若木が伸び始めている。
やがて、色あせた建物が見えてきた。
「あれがクラブハウスです。」
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ガラス窓は板で塞がれ、外壁も色あせていた。車はクラブハウスの脇を通り過ぎ、そのまま奥へ進んでいく。
「この先、少し揺れますので、気をつけてください。」
秘書課長がバックミラー越しに声をかけた。
車は未舗装路へ入った。
車体がガタガタと揺れ、結維は思わずドアのグリップを握った。
「この車で来た理由が、ようやく分かりました。」
結維が苦笑すると、市長も笑みを浮かべた。
「まだ、防災服の出番もあるわ。」
車は管理道路の脇にある少し開けたスペースで止まった。
「ここから先は歩きます。」
上原を先頭に、一行は車を降りた。
「私はここでお待ちしております。」
秘書課長は車の脇で一礼した。
踏み跡だけが残る細い道は、両側から草木が覆いかぶさり、ところどころ木の根が地表に顔を出している。
結維は枝葉を避けながらゆるい坂道を歩いた。
「思ったより本格的ですね。」
「まだ防災服の出番があるって言ったでしょう。」
市長が笑った。
数十メートル歩くと、木々が途切れた。
眼下には、緑に覆われた広大な跡地が海へ向かってゆるやかに広がっている。
その先には青い海が広がり、小さく商店街や港も見えた。
上原は少し離れた場所に立ち、二人のやりとりを見守っていた。
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「いい眺めでしょう。」
「はい。清々しい気持ちになります。」
「ここはね、以前、外資系テーマパークの候補地だったの。でも、途中で計画が変わってしまってそれっきりに。その後、国内資本のテーマパークに、って話もあったけど、結局、別のところに決まったわ。」
「それって、少し前にできた、あの……。私が勤めてたのとは別の大手広告代理店が担当している……。」
「そう。あれがここに決まっていたら、雇用や税収も期待できたはず。」
「そうですよね。大きく変わっていましたね。」
市長は、眼下に広がる海をしばらく眺めた。
「でも、今こうして考えると、それで良かったのかもしれないって思うようになったの。」
「どうしてですか。」
「もちろん、テーマパークは素晴らしいわ。たくさんの人に夢を与えて、地域も元気にしてくれる。世界中からここを目指す場所になる。」
市長が続けた。
「だから、今、私たちにしかできないこと、美海にしかないものって何だろうって考えたの。」
「ここにしかないもの、ですか……。」
結維が海を見つめたままつぶやくと、市長は微笑んだ。
「この後、会ってもらいたい人がいるの。今から向かえばちょうどいいわ。上原さん、彼に連絡してもらえる?」
「はい。承知しました。」
上原は胸ポケットからスマートフォンを取り出し、一歩先を歩きながら連絡を入れ始めた。
車に戻ると、海へ向かう坂道を下っていった。
海沿いの道をしばらく走ると、小さな入り江に面した白い建物が見えてきた。
門柱には、「沖縄科学技術・海洋研究機構 美海海洋分室」と刻まれた銘板が掲げられている。
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車を降りると、市長は迷うことなく正面玄関へ向かった。
慣れた手つきでインターホンを押すと、ほどなくしてオートロックの自動ドアが開き、一人の男性が笑顔で姿を見せた。
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「やぁ、サキ、お久しぶり。」
「ジョージ、元気そうね。」
「さぁ、皆さんも、どうぞ中へ。」
玄関を入ると、木目とガラスを基調とした開放的な空間が広がっていた。
通路の壁には海洋研究の成果を紹介する大きなパネルが並び、ガラス越しには分析機器を前に研究員たちが画面をのぞき込む姿が見えた。
さらに奥へ進むと、オープンスペースが広がっていた。ホワイトボード仕様の壁には図や数式が描かれ、研究員たちが真剣な表情で意見を交わしていた。
「こちらへどうぞ。」
案内されたのは分室長室だった。
部屋に入ると、正面の大きな窓いっぱいに穏やかな海が広がっていた。窓際には大きさの異なる小さな水槽がいくつか並び、それぞれに小さなラベルが添えられている。中央には木製の楕円形テーブルが置かれ、色とりどりの椅子がゆったりと囲んでいた。
「どうぞ、お好きな席へ。」
四人はテーブルを囲むように腰を下ろした。
「改めまして。美海海洋分室長の城島(じょうじま)です。」
そう言って、一人ひとりに丁寧に名刺を差し出す。
早紀が笑った。
「ジョージ、日本式なのね。」
「ちゃんと室長やってますんで。」
結維は受け取った名刺を見つめた。
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「城島で、ジョージ……。」
思わず口にすると、
ジョージが吹き出した。
「そうなんです。英語圏で通じやすくて。あ、名前はジョウじゃなくてタケシって読みます。」
早紀も笑う。
「ジョージとは、アメリカへ留学していた頃に知り合ったの。専攻は違ったけど、パーティーやイベントで顔を合わせるうちに、研究の話をするようになってね。」
「向こうでは『ジョウジマ』も『ヨナハ』も発音しにくいですから。」
ジョージは肩をすくめた。
「僕はジョージ、彼女はサキ。いつの間にか、それが定着しました。」
結維は名刺に書かれた英字へ目を落とした。
「OISTA、オイスタ……。牡蠣?」
思わずつぶやく。
ジョージが声を上げて笑った。
「よく言われます。」
早紀も笑顔で続けた。
「OISTAは、沖縄が世界に誇る海洋研究機関よ。世界中から研究者が集まっているの。」
「海外から来た研究者は、『The world is your OISTA.』って、よく口にするんです。」
「『The world is your oyster.』をもじってね。」
上原が思い出したように口を開いた。
「確か、シェイクスピアでしたよね。」
「そうです。」
ジョージが笑ってうなずく。
「『世界は君のものだ』、つまり『可能性は無限に広がっている』という意味で使われています。しかも、牡蠣も海洋生物でしょう。ダブルミーニングになっていて、海外の研究者には意外と好評なんです。」
「ところで、今日は皆さん、防災服で……。どこかの帰りですか。」
ジョージが尋ねた。
「ええ。丘の上にあるゴルフ場跡地を見てきたの。」
「あぁ、ずっとそのままになってるっていう。」
「以前はテーマパークの候補地だった場所なんだけど、今は美海らしい研究拠点やバイオ系スタートアップの集積地にできないか考えているの。」
ジョージが興味深そうに身を乗り出す。
「それは面白い。」
「食料問題や医療、バイオ医薬品……。美海だからこそ生み出せるものがあると思うの。」
「海洋生物資源との相性も良いかもしれないね。」
「そう思うでしょ。もちろん簡単じゃないけれど、挑戦する価値はあると思ってる。」
ジョージは3人の防災服へ視線を移した。
「それにしても、サキは防災服好きだよね。前もその格好でここに来たよね。」
早紀が少し笑う。
「そうね、好きかもね。」
結維が顔を上げた。
「非常時だけ使うものって、いざという時にうまく機能しないことが多いわ。だから、防災服だって普段から着ておかないと。避難所も普段から人が集まる場所として使われている方が、本当に必要になった時に自然と動けるでしょう。」
ジョージがうなずく。
「なるほどね。研究施設も同じだなぁ。」
「そうなの?」
「閉ざされた研究所より、いろいろな人が出入りする場所の方が、思いがけない出会いや会話が生まれて、新しい発想につながることが多いんだ。」
早紀がうれしそうに微笑んだ。
「ジョージと出会ったのもそういうきっかけだったわね。」
「確かに。あれからここにつながるとは思わなかったなぁ。」
「ジョージさんは、どういった研究をされているんですか。」
結維が尋ねた。
「はい。簡単に言うと、海洋無脊椎動物由来二次代謝産物の生合成機構と遺伝子発現制御、それに宿主と共生生物間の分子相互作用を研究しています。つまり……。」
早紀が吹き出す。
「ジョージ、もっと分かりやすく言うと、あれでしょ。」
と窓際に並んだ水槽を指さした。
「あぁ。」
苦笑いを浮かべながら席を立った。
「みなさん、ちょっとこちらへ。」
水槽には、「Miumi Coast」「Kerama Islands」「Jeju Island」などと書かれたラベルが貼られている。
「つまり……、こういう生き物を研究しています。」
よく見ると、水槽の中では極彩色のものやガラス細工のように透き通った小さなウミウシが、ゆっくりと動いていた。
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「こちらは美海沿岸で採集した個体です。隣は慶良間諸島での調査で採集したもの。そして、こちらは韓国の済州(チェジュ)島の海で採集したものです。」
「わぁ、きれいですね。」
早紀が結維の方を見た。
「ジョージ。彼女が『みうーし』の生みの親よ。」
「そうでしたか。」
「はい。知念結維と申します。昨日から美海市役所で働いてます。」
「え、それじゃあ、サキがいい人をスカウトしたって喜んでたのは、あなたのことでしたか。『みうーし』は、もちろん知っていますし、大好きですよ。」
「ありがとうございます。そう言っていただけると、本当にうれしいです。」
「ここの研究者たちは、ほとんどみんな、『みうーしストラップ』をスマホとかバッグにつけてますよ。」
部屋の外で待機していた秘書課長が、そっと室内に入り、市長に手書きのメモを見せた。
『あと10分ほどで、県庁に向かうお時間です。』
早紀は小さくうなずき、「ありがとう。」とだけ答えた。
「そろそろ失礼するわ。この服も着替えないとね。ジョージ、今日はありがとう。」
「こちらこそ。今日は知念さんにも会えたし。」
ジョージが思い出したように言った。
「バイオ系スタートアップの件だけど、共同研究で知り合った人がいるんだ。一度、話をしてみるよ。」
「ありがとう。助かるわ。」
「うん。またいつでも寄ってよ。」
ジョージは上原と結維の方へ視線を向けた。
「上原さんも知念さんも、また遊びに来てください。ウミウシたちも待っていますから。」
3人はジョージに見送られ、研究棟を後にした。
防災広報車1号に乗り込むと、市役所へ向かった。
市役所へ戻ると、早紀は「二人ともお疲れ様。今日のことは、改めて作戦会議をしましょう。」とだけ言い残し、着替えのため執務室へ向かった。
二人は礼をして見送った。
4階の未来ビジョン推進室に戻る途中、上原が口を開いた。
「市長は、私たちより一歩先、いや、二、三歩先の景色が見えているのかもしれません。」
「先の景色……ですか。」
「今日は時間も限られていましたからね。現場では話しきれなかったこともありますので、作戦会議に向けて、ご説明します。」
上原はドア横のカードリーダーに職員証をかざす。
電子音とともにロックが解除された。
結維は小さくうなずき、未来ビジョン推進室へ足を踏み入れた。
<第3話につづく>