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2026.11.02

美ら海ネクサス 第6話

<前回までの美ら海ネクサス>

 

 

東京の広告代理店を離れ、沖縄・美海市へやってきた知念結維(ちねんゆい)は、若き市長・与那覇早紀(よなはさき)のもと、「未来ビジョン推進室」の特命担当ディレクターとして新たな一歩を踏み出した。

市長や主任の上原と巡ったのは、商店街、老朽化した小学校、海を望むゴルフ場跡地、海洋研究機関「OISTA」。カフェバー「セレンディピティ」では、まちの事情に詳しいマスターや、南風総研の榊原奏人とも知り合った。

初めての週末、美崎中央商店街で再会したマネージャーの八木沢恵理から、結維は思いがけない話を聞く。二年前に手がけたPR動画が、アニメ映画『あすうみ』の舞台選びのきっかけとなり、海外からも聖地巡礼の客が訪れているという。その夜、結維は街歩きマップを広げ、映画を観始めた。

一方、跡地への研究拠点誘致で期待していた京都のベンチャーの話は、研究開発の事情から、すぐには進められなくなった。国際学会でサンディエゴを訪れたOISTAの城島丈(じょうじまたけし)は、旧知の研究者の紹介でミン・テギョムと出会う。沖縄のモズクを使う研究計画を聞き、共同研究の可能性を話し合うことになった。

 

 

<第6話> 「あの日の君に、明日の海でもう一度会えたなら」

 

 

「では、そちらは先方のお返事を待って、日程を調整します。」

上原が手帳に書き留めた。

 

未来ビジョン推進室では、市長との定例ミーティングが開かれていた。

早紀と結維、上原の三人で、進んでいる案件や、これからの予定を確認している。

 

「ありがとう。ほかに、何かある?」

結維が、手元の資料から顔を上げた。

「あの、お二人は『あすうみ』って観ましたか?」

「もちろん、観たわよ。映画館に二度行ったわ。」

早紀が答えると、上原も頷いた。

「私も観ました。妻が大ファンで、文庫もコミックスも持っています。それで、映画にも付き合わされまして。」

「付き合わされた、っていう割には、楽しそうね。」

早紀が笑った。

「はい。アニメ映画はあまり観たことがなかったんですが。見慣れた風景が出てくるのが不思議な感じで。それに、ラブコメものかと思ってたんですが、意外な展開で、すっかりはまってしまいました。」

「私もです。私は、土曜日に観たんです。商店会の八木沢さんに、美海がモデルだと教えていただいて。」

「八木沢さんに会えたのね。結維さんのあの動画の話も聞いた?」

「はい。あの動画がロケ地選びのきっかけになったと聞いて、驚きました。」

結維は、街歩きマップを広げた。

 

 

「最初は、見覚えのある景色を探していたんですけど、あの石敢當(いしがんとう)が出てきてから、話に引き込まれてしまって。」

「あそこから、急に目が離せなくなるのよね。」

「私は、石敢當があんなふうに物語に関わってくるとは思いませんでした。」

上原が身を乗り出した。

 

アニメ映画、『あの日の君に、明日の海でもう一度会えたなら』。

略して『あすうみ』。新進気鋭の監督が初めて手がけた長編アニメ映画だ。

東京に住む十五歳の少女・栞(しおり)が、毎年、夏休みの一時期を沖縄で過ごす。

そこで会う同い年の少年・伊織(いおり)とは、幼なじみのような間柄だった。

 

**********

「そう、それでね。その友達がおかしくって、それは勘違いじゃない?って言ったんだけどね。」

「栞、足元、危ない!」

「えっ?あっ。」

家に帰る近道で、林を抜ける途中の分かれ道に差しかかった。話に夢中になっていた栞の足が、土から突き出た石の角に引っかかった。

「痛てて。今の何?」

振り返ると、半ば土に埋もれた石に「石敢當」と刻まれている。

石敢當は、丁字路や三叉路の突き当たりなどに設けられる魔除けだ。

「石敢當? なんでこんなところに倒れてるの?」

「私、ほんとおっちょこちょいだからね。手と膝すりむいたかな。ね、伊織。手を貸して。」

栞が振り向きながら、伊織がいる方に手を伸ばす。

「伊織?」

栞の声が林の中に消えていった。

 

 

「伊織?どこに行ったの?ちょっと、隠れてないで助けなさいよ。」

笑いながら呼んだが、返事がない。

夕暮れが近づいて来て、涼しい風が抜けていく。

「悪い冗談やめてよね。急に出てきて驚かしたりしないでよ。」

栞は立ち上がり、もう一度、伊織の名を呼んだ。返事はなかった。

スマートフォンを取り出して電話をかけようとしたが、圏外の表示が出ている。

「あれ、転んだ拍子に壊れたかな……。」

林の奥を振り返ってから、栞は家に向かって歩き出した。

少し歩くと、未舗装のはずの上り坂の道路が、車道と歩道に分かれ、歩道は石畳になっている。

その先には、外壁に木材を使った、ガラス張りの大きな3階建ての建物が見える。

「あんな建物、あったかな……。」

誰かに伊織を見かけなかったか聞いてみよう。手も洗いたいし、膝もひりひりする。

坂を上りきると、建物の前に広いテラスがあった。

木陰のベンチでは、親子連れがアイスを食べている。ガラス越しに、本を抱えて歩く人の姿が見えた。

栞は、すりむいた膝をかばいながら入口へ向かった。

 

 

自動ドアが開くと、冷たい空気が頬に触れた。

吹き抜けのロビーには木の柱が並び、高い窓から夕方の光が差し込んでいる。外から見た印象よりも、ずっと奥行きがあった。

栞は入口を振り返った。伊織が追いかけてくる様子はない。

もう一度スマートフォンを確かめたが、表示は変わらなかった。

1階のロビーに面して、コンビニエンスストアがある。

そこで、消毒用のウエットティッシュ、絆創膏と、ペットボトルの冷たいお茶を買った。

ロビーのベンチに腰掛けて、すりむいた右足の膝と、とっさに地面に手をついた両手のひらを見た。

簡単に手当てをして、館内を見回した。

壁のフロアガイドに目をやると、2階に図書館とカフェ、3階が展望フロアとある。

上からなら、歩いてきた道が見えるかもしれない。

栞は、壁際のエレベーターに乗り、3階のボタンを押した。

途中、2階で扉が開いた。

目の前には、背の低い本棚がゆったりと並んでいた。その向こうの大きな窓いっぱいに、海が見える。窓辺の椅子で本を読む人もいれば、隣のカフェからカップを持ってくる人もいる。

「ここ、きれいじゃない?」と言いかけて、隣に伊織がいないことを思い出した。

乗ってきた女性に場所を空けながら、栞は扉が閉まるまで、その景色を見ていた。

 

 

3階に着き、扉が開いた。

栞は窓へ近づき、眼下の道を探そうとして、目の前の景色に足を止めた。

「うわぁ、きれい。」

夕日が沈む海を見下ろす展望フロアになっている。

窓に寄って見下ろしたが、林から出てくる道は木々に隠れていた。

栞は窓際のカウンター席に腰を下ろし、買ったばかりのお茶の蓋を開けた。

一口飲もうとした時に、後ろから声がした。

「栞?もしかして栞か?」

ふいに、高校生くらいの男子に声をかけられて驚いた。

「はい。なんで私の名前を知ってるんですか。」

少し不安になりながら返事をした。

「やっぱり栞か。僕だよ、伊織。」

「いおり?伊織?」

栞の知っている伊織よりも、背が高く、顔つきも大人びている。

けれど、その声も、目元も、確かに伊織だった。

伊織は参考書を手にしていた。隣の席には、開いたノートと鞄が置かれている。

「本当に、伊織なの?」

「そうだよ。どうしてたんだよ、今まで。」

伊織は近づきかけて、栞の膝の絆創膏に目を留めた。

「けがしたの?」

「さっき転んで。でも、もう大丈夫。」

「そうか……。」

伊織は隣の椅子に手をかけたが、座らずに栞を見ていた。

「あの日、急にいなくなって。林の中も、海の方も探したんだ。おばあの家にも戻ってなくて。」

「あの日って?」

「三年前だよ。お母さんたちも東京から来て、警察も、町の人も、みんなで探したんだぞ。」

栞は、ペットボトルを持ったまま伊織を見上げた。

「何の話?」

「こっちが聞きたいよ。どこにいたんだよ。」

言ってから、伊織は一度目を伏せた。

「でも……よかった。本当に。」

伊織は何かを言いかけて、唇を結んだ。

「会いたかったよ。」

栞は、返す言葉を探した。こんな顔をする伊織を、知らなかった。

 

 

「栞のおばあに知らせないと。今、電話するから。」

伊織がポケットからスマートフォンを取り出した。

「ちょっと待って。いなくなったのはあなたでしょう。さっき、私があの石敢當につまずいて転んで、手を貸してって言ったのに、どこかに行っちゃって。」

「さっき?」

伊織の指が画面の上で止まった。

「そうよ。伊織を探して、ここまで来たの。でも……どういうこと?」

伊織は、ゆっくりと隣の椅子に座った。

何かを言いかけて、もう一度、栞の顔を見た。

「栞、今、何年生?」

「中三に決まってるでしょう。伊織と同じ。」

「僕は、高三だよ。」

栞は笑いかけて、やめた。伊織は、少しも笑っていなかった。

「じゃあ、今日、一緒にいたのは誰なのよ。」

「林の近道を通った? 東京の友達の話をしながら。」

「そうよ。覚えてるじゃない。」

「覚えてるよ。転びそうになったから、危ないって言った。そのあと、栞がいなくなったんだ。」

二人の間で、しばらく言葉が途切れた。

「ねぇ。ここ、前からあった?」

「ここ? ああ、図書館ね。去年できたんだよ。」

舗装された坂道。見慣れない建物。大人びた伊織。

「あなたが高三で、私だけ中三?」

伊織は、栞の顔から膝の絆創膏へ目を移した。

「さっき転んだって……あの時の?」

栞は頷いた。

「とにかく、おばあに連絡する。僕も一緒に行くから。」

栞がもう一度頷くのを確かめて、伊織は電話をかけた。

窓の向こうでは、さっきまで林の間に見えていた夕日が、海に沈もうとしていた。

**********

 

「栞にとっては、さっきまで一緒にいた伊織なのに。伊織は、三年も待っていたんですよね。」結維が言うと、上原が頷いた。

「あの『会いたかったよ』には、ぐっときました。」

「石敢當がだんだん小さくなっていくでしょう。もう会いに行けなくなるんじゃないかって、はらはらしたわ。」

早紀は、マップに描かれた石敢當に目を落とした。

「海外からも、あの二人が歩いた場所を訪ねて来てくれるのよね。」

「うちの妻は、石敢當のコラボTシャツも買って、よく着ています。」

上原は、胸元のあたりで文字を描くようにしながら説明した。

「石敢當のミニチュアも売れているみたいね。」

「はい。海外からのお客さんにも、よく売れているそうです。」

「映画を観た海外の人には、あの二人を思い出す文字なんでしょうね。ミニチュアを手元に置きたくなるのも、分かる気がします。」

結維が言うと、上原が手帳に目を落とした。

 

 

「地元の石材店さんと相談して、ふるさと納税の返礼品にもできるかもしれませんね。映画とのコラボなら、作品側への相談も必要ですけど。」

「そうね。ただ、市内のお店に頼めば、それだけで地場産品として認められるわけではないでしょう。そこは担当課と確認してね。」

「はい。石をどこから仕入れて、どの工程を市内で行うのか。そのあたりから聞いてみます。」

「材料も、美海で採れた石でないと駄目なんですか?」

結維が尋ねた。

「必ずしもそうではありません。市外の石でも、市内での加工が商品の価値をどれだけ生んでいるか、という見方があります。ただ、完成品を仕入れて、映画の名前を付ければいい、とはいかないんです。」

「映画とのコラボというだけで、欲しくなる人もいますよね。」

結維が言うと、上原は頷いた。

「せっかくなら、美海の職人さんの仕事も知ってもらえるものにしたいわね。」

早紀は、マップの石敢當に目を落とした。

「そうそう、映画の続編の企画が進んでいるって聞いたわ。」

「すごいですね。」

「ここだけの話、また美海を中心に舞台を考えているって。」

「あの図書館も出てくるんでしょうか。」

「ええ。そのつもりだそうよ。」

「私、映画を観て、あの図書館にも行ってみたいと思ったんです。海に向かって大きな窓があって、テラスにも本を持って出られて。」

「あれ、あのゴルフ場跡地のクラブハウスがモデルなのよ。映画では、ずいぶんきれいに大きな建物になってるけど。」

「えっ。この前、見に行ったところですか?」

結維はタブレットを手に取り、視察の時に撮った写真を開いた。

「確かに。場所と風景は、そうですね。気がつきませんでした。」

「監督がロケハンした時に、もとの建物から着想を得て、図書館になった姿を描いたそうよ。」

 

 

「実際には、あの図書館はないんですね。」

「まだね。」

「まだ、ですか?」

早紀は、少し楽しそうに結維を見た。

「あの図書館を、本当につくりたいっていう相談が来ているの。」

上原も顔を上げた。

「民間の方からですか?」

「ええ。韓国の財閥系企業。あの図書館を再現するだけじゃなくて、その周辺を含めた、大きなショッピングモールを考えているそうよ。」

「図書館だけではないんですね。」

「そう。あの海の眺めも含めて、一帯を開発したいという意向なの。」

「跡地を所有している投資ファンドとは、もう話が進んでいるんですか?」

「そこも、これから確認するところよ。それに、県の誘致支援制度も使えるかもしれないわ。」「美崎の商店街との関係も、考える必要がありますね。」

上原が言った。

「ええ。研究拠点の構想もあるし、跡地全体で考えたいわ。それに、市立図書館にするのか、本を読める民間の施設なのかも、まだ決まっていないの。」

「映画と同じ図書館ができたら、聖地巡礼の観光客が大勢来ますね。」

「ええ。観光客もだし、市民にも日常的に使ってもらえる場所にしたいわね。面白い話だからこそ、長く続く形にしたいの。」

結維は頷き、マップに目を戻した。喫茶店のイラストが目に留まった。

「あ、商店街では、映画に出てくるものが、もう実現したそうですよ。八木沢さんから聞いたんですけど。」

「なあに、それ?」

「シークヮーサークリームソーダです。」

「ああ、彼女がアイスを落としそうになる、あの喫茶店の。」

上原が、すぐに答えた。

「モデルになった喫茶店には、もともとなかったメニューなんです。映画を観て来たお客さんが、スマホでそのシーンを見せて、これを飲めますかって。」

「それで、つくったのね?」

「はい。次々に聞かれるので、試しにつくってみたそうです。そうしたら、お客さんが投稿した『飲んでみた動画』がバズってるみたいです。」

 

 

「観光の案内も充実させたいわね。それと、続編に向けた取材や、ほかの作品の撮影の相談も増えそうだから、フィルムコミッションの立ち上げを具体的に進めたいと思っているの。」

「ドラマやCM、雑誌の撮影の問い合わせも増えているそうですね。」

「今は、市役所や観光協会、商店会が、その都度対応しているでしょう。相談する側にも、受け入れる側にも、分かりやすい窓口が必要だと思って。」

「撮影する側にとっては、最初に誰に相談すればいいかが分かるだけでも、とても助かると思います。」

結維は、二年前の撮影を思い出した。

「私も八木沢さんに、場所の案内だけでなく、お店の方への説明や、撮影できる時間の調整まで助けていただきました。」

「結維さんの経験が、ここでも生かせそうね。」

「県にもフィルムコミッションの窓口はありますが、『あすうみ』で注目されている今こそ、美海にも窓口が必要だと思います。」

上原が言った。

「では、窓口の立ち上げに向けて、観光協会や商店会と相談を始めましょう。」

「私から八木沢さんに連絡してみます。」

結維は頷き、マップに手を置いた。

「まずは、クリームソーダも飲んでこないといけませんね。」

上原が言った。

「そうですね。」

結維が答えると、早紀も笑った。

打ち合わせが終わるころ、秘書課長が姿を見せた。

早紀は次の予定に向かうため、らせん階段を上っていった。

 

結維は手帳を開き、会議中に書き留めた言葉の下に線を引いた。

映画の続編に向けて、フィルムコミッションの立ち上げを間に合わせたい。

石敢當がふるさと納税の返礼品になれば、地元の職人さんと日本中のファンをつなげられる。

あのゴルフ場跡地に映画の図書館ができたら、聖地巡礼に来る人にも、市民にも喜んでもらえるはず。

こういう仕事のしかた、前にもしていた気がする。

誰かの思いつきを持って別の誰かに会いに行く。知恵を借りて、できることを持ち寄って、行き詰まったら別の方法を探す。

広告代理店にいた時も、そうだった。

早紀が、自分をこのまちに呼んだ理由が、少し分かった気がした。

結維は、手帳に書き留めたことを、もう一度読み返した。

これまでの経験を、このまちで生かしてみたい。

美海の未来をつくる。

 

 

 

<第7話につづく>

 

<作者>

伊藤敏孝
元地方自治体職員。大学教員。博士(公衆衛生学)。大学発ベンチャー企業を経営。

 

※本作品はフィクションです。実在する地域・制度・機関等が登場する場合がありますが、物語および登場人物等は創作によるものです。

※本作品の挿絵は、生成AIを使用して制作しています。