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2020.10.15

FMに纏わる市民ワークショップの実態と求められる視点⑦(最終) 〜まちのビジョンと職員の覚悟〜

FMに纏わる市民ワークショップの実態と求められる視点⑦
〜まちのビジョンと職員の覚悟〜

首都大学東京助教 讃岐 亮

 

本コラムでは、公共施設マネジメントをテーマとして行われる市民参加・協働としてのワークショップの「意義」と「技法」について、僅かばかりの知見を記してきた。これらが全てではないし、これが最適な手法であるとも限らないが、参考になれば幸いである。その上で、最後に2つ、大事なことを記したい。

 

一つは、これまでに述べてきた市民参加・協働の場づくりの視点、手法を、地域ごとに解釈して、ワークショップや対話を「ジブンゴト」にする、ということである。本コラムでも何度も使ってきたこの自分事/ジブンゴトという言葉は、ここまでではどちらかと言えば住民を念頭においた言葉遣いだった。が、ここでは行政職員に対して使いたい言葉である。そして、ここで求められるジブンゴトには、技術的な意味と、精神的な意味の2パターンがある。

 

まずは技術的な意味でのジブンゴトから。ともすると、行政の企画や計画は、有名自治体や近隣自治体、同規模自治体のそれのコピー&ペースト・・・は言い過ぎとしても、類例に習うとか、成功事例を視察するとか、そういったことがよく行われているはずである。無論、それ自体はとても素晴らしいことだと思うし、どんどんと勉強して知見や知恵を蓄えてほしいと思う。ただ、それを鵜呑みにしてそのまま自身の案件に反映するのは、筋違いだろう。自治体ごと、地域ごとにそれぞれの文化、歴史、事情、住民の暮らし方があり、市民参加や市民協働のあり方も大小のチューニングが必要となる。参加・協働の場を自治体が企画するのであれば、そのあり方を、他自治体の単なるコピーではなく、自分事として捉え、改良していくことが求められる。

案を作って住民に示しつつ更なるブラッシュアップを求めるのか、ゼロベースでアイディアを募るのか、ワークで得たい成果のレベルはどうするのか、対象は全施設なのか、対象は全域なのか地域ごとなのか、コンサルタントに企画運営してもらうのか、自前で全てやるのか、学識や学生の協力を募るのか、部課を超えて若手職員にファシリテートしてもらうのか、関係課との事前調整をどうするか・・・。本当に様々な検討項目があり、それぞれで最善と思われるものを探らなければならない。

次に精神的な意味でのジブンゴト。公共施設再編の市民ワークショップに時間やコストをかけるのは、経営上好ましい判断と言えないのではないか、オママゴトではないか、という向きがあるのも把握しているし、その指摘も尤もだと思う。そもそも私は、市民参加や市民協働を率先して薦めるつもりは毛頭ないのである。自治体という経営組織として市民との関わりが絶対に必要だという判断がなされたとき、ではその関わりの場を最大限有意義なものにするために、あるいはその先の実践が少しでもスムースに進めるために、そこで何ができるかを模索してきたのであり、その経験を紹介しただけのことである。

と言いつつも、覚悟ができているなら、手助けしたいとも思う。すなわち、市民との関わりの場で得るアイディアを何かしらの形で市政に反映するんだという覚悟ができているかどうかは、長期的に見たときにそのワークショップが成功と言えるかどうかの、非常に大事なポイントである。事実、市民から「アリバイ作りでは?」とか「どうやって市政に反映するつもりなのか?」という鋭いツッコミがあったとき(往々にして指摘される)、事前準備以上に物を言うのは担当する課、担当する職員に信念や覚悟があるかどうかだと、様々な自治体との協働を通じて私は考えている。

総合管理計画で書いてしまったから、とか、国に言われて仕方なく、という考え方は、他人事にしていることの表れである。そうではなく、市民参加や協働を自らが選択したという認識を持つことが、ジブンゴトにする、ということである。

 

さて、大事なことのもう一つに話題を転じよう。それは、こういったワークショップはあくまで公共施設マネジメントの一手法であって、目的・目標ではない、ということを改めて認識することである。

そもそも公共施設マネジメントの本来の目標は、財政再建であり、持続可能な地域づくり、まちづくりにあるはずである。そのための公共施設マネジメントであり、再編であり、その一つの過程でワークショップや対話がある。市民ワークショップに熱中していると、細かな技術論、手法、工夫、一つ一つの対応に気を取られて、どうしても「目標」を忘れてしまいがちである。特に公共施設の再編問題は、数字や文字が羅列される財務諸表やら施設台帳のような表を基にした検討が行われるため、机上のシミュレーションや文章づくりに囚われてしまいがちである。またワークショップの現場では、話が進めば進むほど、個別具体の施設がとりあげられ、そこで提供されているサービスや市民活動が「なくなるのでは?」と不安を与えてしまうため、不安の声が必然的に大きくなり、一つ一つの問題への対応が求められてしまう。目標から目がそれてしまう罠は、そこかしこに潜んでいる。

それでは一向に進まない。実践して初めて計画に意味が伴うのだし、目標達成に近づくのだ。ではそのために何が必要だろうか。それは、街としての将来の「ビジョン」と、「とにかくやってみよう」というマインドセットである。

ビジョンは、都市計画的に言えば、まちづくりのマスタープランと言ってもいいかもしれない。たとえば、富山市のまちづくりビジョンに「コンパクトシティ」というキーワードがある。私が富山市に視察に行って驚いたことと言えば、どの部署の職員もが、この「コンパクトシティ」という言葉をつかってそれぞれの事業を説明してくれたことなのである。これは賛否両論があり、実際に成功例なのかと訝しがる向きもある。が、いずれにしてもこうしてビジョンを共有することが、様々な事業、ひいては地域形成に生かされていることは想像に難くない。

地域のコンテンツをしっかりと把握した上で、具体的なビジョンを示すことができれば、単に現状から縮減するだけの未来像ではなく、まだ生かされていない資産も掘り起こしながら、また新しい街の未来を描けるだろう。そうした道筋の上に、公共施設マネジメントの様々な取り組みをのせていけるかどうかは、全庁的な結束と、「想像力」「創造力」にかかっている。

そして「とにかくやってみよう」という考え方を身につけること。公共サービスには、失敗が許されない領域も多いと思うが、では全部が全部、失敗してはいけないものだろうか? 100%の裏付けを確認するまでの多くの時間と労力を考えれば、70%でも80%でもいいから、どんどんやってみたほうが効率が良いという指摘は多くある。公共施設マネジメントでも、やはりそういう柔軟な発想が必要だろう。事実、そういう精神で様々な事業に臨んでいる自治体職員が、徐々にではあるが、増えてきているし、実際に公共施設マネジメントの実践ができていると言える。そして、それら自治体は、まさに市民協働なり公民連携なりの一つ一つの取り組みが、あくまで目標達成のための手段であることをしっかりと言葉に表している。

 

公共施設マネジメントが求められているのは全国の自治体で共通する。そこには、日々の営繕、施設の再編、公民連携による新たな価値創出等、様々なやり方があろう。その中で、市民参加・協働を企画し実施する、という選択をしたならば、その位置づけを明確にし、覚悟をもって臨んでもらいたい。市民の多くは、それがサイレントマジョリティであることは往々にしてあるとはいえ、健全かつ持続的な自治体経営を望んでいるのだから。